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昨年、福島での原発事故が起こってから、ずっと原子力や原子力発電について書き続けていた。自分にとっても、あの衝撃がいかに大きかったか、あらためてわかる。
昨年の今頃、ボンヤリと予感したことがあった。 他の原発の再稼働のことだ。 きっと、賛否両論が派手にぶつかり合い、現場の状況とか現地の実情などを蚊帳の外に放りだしたような論議が続けられるな、と思った。 そして、多くの国民が事故を過去のものとし、報道機関も取り上げなくなった頃、こっそりと原発再稼働が始まるという図式だ。 もちろんそれに反対する人々は、反対の意思表示をし、運動を展開するだろうが、結局は「国家の意思」に押し切られるのではないか、という敗北主義的な予感でもあった。 良識を押しつぶして一部の利権を確保する、「多数」の傲慢がいつも押し通っていたこの国の過去を見ると、暗い感情を伴ってそのような悲観的シナリオを予想をした。 現実は、その通りになっている。この国の利権に群がる人々の執念は、倒しても切っても抜いても焼いてもしぶとく生えてくるアメリカオニアザミのように絶やすことができない。 リゾート開発ブームの時もそうだった。 ダムもそうだった。 鉄道の廃止もそうだった。 基地も干潟の干拓も、あれもこれも何もかも・・・・。 この国の欲の皮の突っ張った、「あの連中」は、反対意見にきちんと向き合うということをしない。最初に建てた結論を強引に押しつけることしか知らない。 そういう態度や行動を「ご理解頂く」と言うらしい。 子どもたちに幸せな未来を残す、きれいな環境を持続させる、というきわめてシンプルな価値観を共有できない人々を一掃しない限り、世の中は良くならないと思った。 今日は、会議があるので峠を越えてウトロまで来た。羅臼岳が黙ってニンゲン界を見下ろしていた。 頂上直下を通る時、山が微かに囁いたようだった。 「なあに、そんなに長いことじゃないさ。700年くらい前の噴火なんて、つい昨日の出来事みたいなものだ。自然を甘く見ている連中が、悔い改める時は近いさ」 ゾクリとした。 ![]()
羅臼では、街でお酒を飲み、家まで歩いて帰る。
羅臼の僕の家は、山の上にある。ホンの数百メートルだが、知床の夜の山道を歩かなければならない。ヒグマと遭う可能性は、小さくない。正直なところ怖い。だから飲み歩く時、できれば熊撃退用のスプレーを手放したくない。 「現代の日本で、熊スプレーを持ってお酒を飲みに来るなんて、われわれくらいのものだろうな」と話して笑い合っている。 渋谷の地下鉄駅構内で、人が刺される事件があった。今日、生徒とそのことを話題にした。 電車で隣の席に座った男のバッグにナイフが忍ばされていて、突然それを振りかざして襲いかかって来るというのは、とても怖いことだ。 「間違いなく知床のヒグマよりも何倍も怖い。」 「ヒグマの襲撃には理由があるし、こちらが襲う理由を理解し、回避すれば、襲撃はほ ぼ避けられるが、ヒトがヒトを襲う理由は理解不能で見当がつかない。」 生徒達は異口同音にこのようなことを言っていた。 同感である。 ちょうどその時、不審者情報が伝えられた。 「今日の昼前に、根室市のコンビニエンスストアに刃物を持った男が押し入り、現在 も刃物を持って逃走中」という内容だった。 ヒトはクマより怖いと話した直後だっただけに、皆、納得してその話を受け止めた。 以前、蝗害(こうがい)について調べたことがあった。 蝗害とは、トノサマバッタなどバッタ類が大量発生することで起きる災害である。 開拓期の北海道で良く起こったそうだ。十勝地方には、それを記録した「蝗塚」があちこちに建てられている。 大量発生し、餌を求めて集団で移動する現象を「飛蝗」(ひこう)と呼び、この群生行動では、水稲や畑作作物などに限らず、全ての草本類を数時間のうちに余すところ無く食べ尽くしてしまうという。そのために昔は、ヒトの食糧が底をつき、餓死者が出るほどの深刻な飢饉に陥ったという。 群生行動をするバッタ(群生相)は、単独行動のバッタ(孤独相)に比べて、次のような違いがみられる。 体色が暗色になる。 翅が長くなる・・・・・飛ぶ力が強まる。 頭幅が大きくなる・・・顎の力が強くなる。 その他、触覚の感覚子の数が減少していたり、胸部の形が変わっているなど、同じ種類の昆虫とは思えないほどの大きな違いを見せる。 これは、バッタの細胞に孤独相用の遺伝子のセットと群生相用の遺伝子のセットの二セットがあらかじめ準備されており、バッタの生育過程で一定以上の個体密度になった時に群生相用セットが働く仕組みがであがっているためだろう。 ヒトも、自然界から切り離され、かつて経験したことのないほど異常な高密度で生活することを強いられて、働く遺伝子のセットが変化するということはないだろうか。 たしかに、これはヒグマより怖いことかも知れない。
雨が降るという予報を信じて、バイクで行くことは諦めた。夕方になってほんの少し、言い訳のような雨が降った。粒の大きな雨で、クルマのフロントガラスに音を立ててぶつかり砕け散っていた。
雨粒を見つめながらぼんやり考えていた。 雨は、 必ず 降る。 あの日も、 雨が 降った。 あの日・・・ 佐世保港にアメリカの原子力空母エンタープライズが入港する日だ。 日本に寄港した、最初の原子力空母。 激しい反対運動が、その前に何度も何度も繰り広げられた。 1967年秋から1968年1月にかけてのことだった。 昭和43(1968)年1月19日、米第7艦隊所属の 原子力空母エンタープライズが長崎・佐世保港に入港した。 エンタープライズは、世界最初の原子力空母で、基準排 水量7万5700トン、原子炉8基を持ち、F4ファント ム戦闘機などを70~100機積載できる。 原子力潜水艦は佐世保や神奈川・横須賀に寄港したこと があったが、原子力空母が日本に寄港するのは初めて。当 時艦載機がベトナム戦争の空爆に参加しており、労働組合 や学生らが、ベトナム戦争への加担や、核持ち込み疑惑な どを問題にして入港を反対するデモを連日展開し、警官隊 とたびたび激突した。 (この部分「毎日新聞」記事から引用) エンタープライズの入港を突破口にして、寄港の回数が 徐々に増え、ついには横須賀が原子力空母の母港になるこ とについても、さほどの大きな抵抗は生じなかった。 日米政府は、激しい抵抗が予想される場合、最初は遠慮 がちに、小出しに実行し、少しずつ「慣れ」を作っていき、 終いには大胆に開き直るというやり方をいつも用いてきた。 その手法は、今も全く変わっていない。 その背景には、「日本の国民の大多数を占める無知で愚 かな階層は、こうやって馴らして行くのがもっとも有効」 というエリートたちの強固な思い込みがあることは明らかだ。 高校生だった僕らは、 その出来事を見ていた。 そこに権力の本性を見た。 権力は、巧妙に「世論」を操作しながら 反対する勢力が怯みを見せると 態度を豹変させて襲いかかってくる。 そんな卑怯で、姑息で、屁ナマずるく、 それでいながら、侮れない力を持っている、と。 そんな腐った側に立つ生き方は、絶対にしないと あの映像から学んだ。 40年以上の歳月を経て、 あの時の思いが、 突然よみがえってきた、知床の海岸だった。
今日は、暖かい一日だった。同時に晴天だが、やや風が強かった。
バイクで走る僕に風が戯れかかってくる。不規則に車体を左右に揺さぶるのだ。 コーナーで、車体をどのくらい傾けるか、ちょっと迷っう。だが、そんな風と駆け引きしながら走るのも楽しい。 空気の壁に一気に切り込んでみるのも良いが、今日のような風に纏わりつかれながら走るのは、見えない相手と会話しているようで飽きることがない。 昨日の日食などは、計算で、いつどこで起きるか、あるいは起きたか、正確に答を出すことができる。 太陽と地球と月の位置が宇宙的なスケールなので、一定以上の精度で計算できれば、小さな誤差は捨象できるからだ。いわばシンプルな物理法則で説明可能なのだ。 自然界の法則は、基本的には、すべて簡単で単純なのだが、要素が増えるにしたがってその複雑さが増す。その増え方は、等比級数的だと思う。バイクを揺さぶる横風の計算などは、非常に難しいだろう。 昨日の日食の時、日食観測の準備を整えて待っていたのに雨天や曇天で全く見なかった地方だってあるわけで、日食は予測できても、その時の天候は、予測不能だったのだ。(実際には、天気予報が的中していると思うが) 核分裂反応による原子核崩壊というのは、比較的単純な物理現象で、そのエネルギーや反応時間などを計算で予測することは可能だ。しかし、工業的規模の原子炉で核分裂反応を起こした場合、そこで起きる生成物同士とか、原子炉の素材との反応など副次的な影響まで予測するのは大変だろう。 そして、そこで壊滅的な事故が起き、放射性物質が環境へ放出された時、もう一つの複雑系である生物体や人体や生態系に対してどのような影響を与えるか、さらには、社会や経済がどういう影響を被るか、全く予測不可能な複雑さとなるだろう。 バイクで走りながら、次にどちら向きの風が来るか、ということ以上に複雑で解明できず、それよりもはるかに深刻で多くの悲劇を含んだ問題なのだと思う。 これが、今日、知床の風との会話の内容である。
本日部分日食。80%近くまで食が進み、朝、風景は薄暗いものになった。
日本列島南西部より東北地方南部にかけて一部地域では金環食となった。 そして今日、少しの間、山を歩いた。 幸運なことにオオルリと出会った。 ノゴマも来ていた。ウグイスやセンダイムシクイは、声を張り上げてさえずっている。気温はまだ低めだが、夏鳥が顔をそろえつつある。これから春が闌けていく。じっとしているのがもったいないような期待に満ちた、それでいて落ち着かないようなそわそわした気持ちになるこの時期が、実は一番好きな季節だ。 しかし、もうしばらく姿を見ていない鳥がいる。 シマアオジ。ラテン語名Emberiza aureola (黄金のホオジロという意味だろうか) 姿を見なくなって何年になるか。道東の自然系施設で働く若い職員の中には、この鳥を見たことのない人、全く知らない人も増えているようだ。 「去る者は日々に疎し」と言うが、シマアオジを忘れる人が増えることは寂しい。そう感じるのは、歳のせいだろうか。 だが、これは、レイチェル・カーソンの予言した「沈黙の春」(「SCIRENT SPRING」)ではないか。 今、元気にさえずっているノゴマやセンダイムシクイも、いつかシマアオジと同じ轍をたどらないという保証はない。 「オホーツクのフルーティスト」と呼ばれ、姿も声も魅力的だったシマアオジ。ハマナスのソングポストがよく似合ったシマアオジ。 他の鳥たちより一足早く、滅びの運命をたどったのは何故なのだ。 みんなが忘れ去っても、僕はシマアオジのことを絶対に忘れない。 毎年、海岸草原にハマナスの咲く頃、僕の心の中に住むシマアオジを歌わせてやりたい。 ![]()
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